自己表現とクライミング
人は誰でも自分の中に「なにか」を抱えていて、それを表したいという欲がある。
自己表現の手段はいろいろあるけど、
ダンスでも歌でも詩でも芝居でも
自分に合う表現方法に出会えれば幸せだ。
はて、クライミングはこの自己表現の手段になり得るだろうか。
結論から言うとわたしは「なる」と思っている。もっと正確に言うと「なり得て欲しい」と思っている。
理由は2つ。
1つ目はクライミングと「美」の親和性が高いこと。
課題の美しさ、ムーブの美しさ、肉体美の美しさ、岩の美しさ、、
クライミングと美しさは切っても切り離せない関係にある。
「美」が常に付きまとうということは、クライミングが「表現」の世界にいる証拠なのではないか。
2つ目は、クライミングのもつ「抗う」という性格。
そもそも(スポーツ)クライミングの原型は、自然の岩を登る岩登りであるが、
そこにただ「在る」の岩に
無理やり課題というルートを求め、
名前を与え、
かつ重力という何よりも大きな自然の摂理に抗い続けながらそれを登るという、クライミング行為は、まさに「自然への抵抗」だ。
クライミングの目的は自然に対し無力な自分からの脱却かもしれないし、
もっと言うとそのまま生きていては充足しきれなかった自己満足感を、課題を登ることで補おうとしていることなのかもしれない。
「抗う」ということは「自由を求める」ということだ。
自己表現の世界は、ありのままの自分を垂れ流すのではなく、
表現したい自分をきちんと人に伝えるべく鍛錬を積み、努力し続ける世界だ。その姿勢に「自由」が宿る。
うん。こういうところがクライミングっぽい。